沿革
株式会社横溝塗工店の歴史
初代 横溝 喜之助 明治10年(1877年) 個人経営をし、屋号を「渋喜」として設立 |
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横溝 喜之助 紹介
喜之助が仕事を始めた頃は、まだ塗料が日本にはなく
家屋の塀や壁の木部に柿渋を塗ることで対象物の強度増強や
防腐処理を行っていました。
後にアメリカから塗料が日本に入り、塗装技術の修得を経て
塗装を主体とした業務体制に変わっていきました。
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二代目 横溝 元次郎 明治31年(1898年) 「横溝元次郎塗工店」として家業を継承 |
横溝 元次郎 紹介
まだこの頃は塗料が日本に入り始めた頃で
非常に希少で高価だった為、一般には普及しておらず
塗装技術を持った人間もほとんどいませんでした。
その為、元次郎はアメリカに塗装技術をさらに学ぶ為に
海を渡りました。この頃は、一般の家屋に塗装することは
ほとんどなく洋館などの塗装が主な仕事でした。
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左は明治43年(1910年)の
中華街を写した風景です。
青い丸印の部分を見ると「M.YOKOMIZO PAINTER」と書かれた看板があります。 これが当時の弊社
「横溝元次郎塗工店」です。
その頃はアメリカ人や中国人 のお客様と商売することが多く
看板も英語と日本語の両国語
表記になっていました。
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三代目 横溝 武雄 昭和6年(1931年) 家業を継承 |
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横溝 武雄 紹介
家業ではいち早く運搬手段である自動車を活用し
足場材として丸太を購入して足場から仕上げまでの
一貫した作業体制を構築しました。
特に、業界発展の為に尽力し 組合や協会などへの参加を積極的に行いました。
そして、数多くの業績を残しました。
また、横溝塗工店は次第に塗装業から改修業として 変遷を遂げていきました。
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合資会社「横溝塗工店」に組織を変更 | 昭和23年(1948年) |
山下町機材センター新設 | 昭和37年(1962年) |
横溝 武雄 塗装発祥地記念碑建立の実行委員長に任命 | 昭和37年(1962年) |
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塗装発祥の地記念碑
横浜が塗装発祥の地として神奈川県、横浜市の賛同を得て建立されました。 この記念碑は先人達の業績に敬意を表し、業界発展の願いも込め設置されました。
現在も横浜市中区にある元町公園に残されています。
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株式会社「横溝塗工店」を設立 | 昭和42年(1967年) |
合資会社「横溝塗工店」と合併 | 昭和42年(1967年) |
資本金を600万円に増資 | 昭和46年(1971年) |
資本金を1,000万円に増資 | 昭和47年(1972年) |
横溝 武雄 建設大臣表彰を受賞 | 昭和48年(1973年) |
横溝 武雄 黄綬褒章を受章 | 昭和50年(1975年) |
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全国塗装業者合同慰霊碑
日本塗装工業会の設立 30周年を記念し
先人達に感謝の意を込め設置されました。
現在も横浜市神奈川区にある本覚寺に残されています。
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横溝 武雄 紺綬褒章を受章 | 昭和54年(1979年) |
横溝 武雄 勲5等 瑞宝章を受章 | 昭和56年(1981年) |
資本金を1,500万円に増資 | 昭和56年(1981年) |
資本金を2,100万円に増資 | 昭和57年(1982年) |
福浦機材センター新設 | 昭和57年(1982年) |
資本金を2,500万円に増資 | 昭和58年(1983年) |
資本金を3,000万円に増資 | 昭和59年(1984年) |
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四代目 横溝 武矩 昭和63年(1988年) 代表取締役(社長)に就任 |
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平成15年(2003年)
横溝 武矩 国土交通大臣表彰を受賞
平成17年(2005年)
横溝 武矩 黄綬褒章を受章
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五代目 横溝 隆雄 平成21年(2009年) 代表取締役(社長)に就任 |
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